| 1956年6月30日
ドイツ・デュッセルドルフ(Duesseldorf,
Germany)
にてロート家の次男として生まれる。
父、カール・ヨーゼフ・ロート(Carl
Josef Roth) はジャーナリストとして活躍していたが、同時に多くの著書もあった。
1963年
ハノーヴァー(Hannover)に移住。
1970年
ギターを独学で始める。
この頃は、クリーム(CREAM)、ジョニー・ウィンター
(Johnny Winter)
などのブルーズをよく聴いていたが、同時にイエス(YES)
やレッド・ツェッペリン(LED
ZEPPELIN)
等にも興味を持っていた。後にジミ・ヘンドリクス(Jimi
Hendrix)
にも影響されるようになる。
1973年6月
兄ウリ・ジョン・ロート(Uli
Jon Roth) がスコーピオンズ(SCORPIONS)
に参加。
1973年〜1975年
ギターに加え、ヴァイオリンのレッスンも受けはじめる。
1974年
ウレ・リトゲン(Ule
Ritgen
<b>)、アヒム・キルシュニング(Achim
Kirschning <key>)、フランク・トレ(Frank
Tolle <ds>)
をメンバーに、最初のバンド「BLACK ANGEL」を結成。
1977年
約3年間にわたるドイツ・ツアーののち、BLACK ANGEL解散。
1978年
半年間渡英しバンドを探すが、パンクやニュー・ウェイヴが中心となっていた当時のUK音楽シーンの中では、うまくいかなかった。
1978年7月
ウリ・ジョン・ロート(Uli
Jon Roth) がスコーピオンズ(SCORPIONS)
を脱退し、自らエレクトリック・サン(ELECTRIC
SUN)
を率いる。ウレ・リトゲン(Ule
W Ritegn) がエレクトリック・サン(ELECTRIC
SUN)
に参加。
1979年〜1983年
バンド名やメンバーはそれぞれ変えながらも、この時期、多種類のバンドを結成していく。多くの曲や詞を自らのバンドのために書く。後の
ZENO の曲となる作品もこの時期にいくつか作られている。
ディールは成功せずも、いくつかのドイツのバンドとツアーをしたり、レコーディングを行う。
1979年
エレクトリック・サン(ELECTRIC
SUN)
が、ファースト・アルバム「Earthquake」をリリースする。
1980年
エレクトリック・サン(ELECTRIC
SUN)
のセカンド・アルバム「Fire
Wind」リリース。
1983年12月
エレクトリック・サン(ELECTRIC
SUN)
が、3枚目のアルバム、「Beyond
The Astral Skies」のレコーディングに入る。
ウレ・リトゲン(Ule
W Ritgen<b>)、マイケル・フレクシグ(Michael
Flexig<vo>) らとともにレコーディングに参加。
1984年2月
ウレ・リトゲン(Ule
Ritgen) とともにバンドZENOを結成。デモの制作をはじめる。マイケル・フレクシグ(Michael
Flexig) が、臨時のヴォーカリストとして参加。
デモとして収録されたのは、“Eastern
Sun” “A Little More Love” “Signs On The Sky” “Don't Tell The Wind”
“Far Away” “Love Will Live” の6曲。
多くの大手レーベルがこのデモに興味を示す。
当初の意志に反して、マイケル・フレクシグ(Michael
Flexig) がZENO
の正式メンバーとなる。
1984年6月
EMI UKとレコード契約を結ぶ。
ヨーロッパにおける新人バンドのディールとしては、その契約金の高さで、破格の契約のひとつとなる。
エレクトリック・サン(ELECTRIC
SUN)
の「Beyond The
Astral Skies」アルバムが完成。ウレ・リトゲン(Ule
Ritgen) がエレクトリック・サン(ELECTRIC
SUN)
を離れる。
1985年1月
アルバム「ZENO」のレコーディングが、英国のアビー・ロード・スタジオ(Abbey
Road Studios)を含む、世界各国の多くのスタジオを使って開始される。
チャック・バーギ(Chuck
Burgi <ds>)、スチュワート・エリオット(Stuart
Elliot<ds>)、カール・マーシュ(Carl
Marsh <key>)、ドン・エイリー(Don
Airey <key>)、クリス・トンプソン(Chris
Thompson) らがレコーディングに参加。
1985年8月
アルバム「ZENO」完成。
1986年2月
“A Little
More Love”ビデオ(PV)を制作。
1986年3月
ファースト・シングル「A
Little More Love」がリリースされた後、アルバム「ZENO」が、ヨーロッパ、アメリカ、続いて日本でも発売される。
1986年5月〜
ブラック・サバス(BLACK
SABBATH) のサポートアクトとしてヨーロッパをツアー。ロッド・モーゲンスタイン
(Rod Morgenstein <ds>)
とラリー・ドヴォースキン
(Larry Dvoskin <key>)
がこのツアーに参加。
ビデオ(PV) “Love
Will Live”を制作。
1986年6月〜7月
クロークス(KROKUS)
、 キール(KEEL)とともにアメリカツアーを行う。
また、英のフェスティバルでクィーン(QUEEN)
とも共演。
1986年9月
ZENOのセカンド・アルバムのためのレコーディング開始。(“Heat
of Emotion” “Out in the Night” “Is It Love” も、このときにレコーディングされている。)
1988年
EMI UK を離れる。
1988年8月
マイケル・フレクシグ(Michael
Flexig)がバンドを脱退し、新しいヴォーカルとしてトミー・ハート(Tommy
Heart) がZENO
に加入。
さらに“Surviving
the Night” “Together” などがレコーディングされる。ゲフィン(Geffen
Records)
が ZENO
に興味を示すが、ディールには至らなかった。
1989年
事実上、バンドZENO
解散。
活動の中心を音楽から執筆に移す。多くの詩や歌詞、哲学書、ウィリアム・シェイクスピア(William
Shakespeare) に関する小説やジャン・ジャック・ルソー(Jean-Jacques
Rousseau) に関する論文等、幅広い執筆活動を行う。
また同時に、自分や他のバンドのための作曲活動も続ける。
1991年4月
ウリ・ジョン・ロート(Uli
Jon Roth) 総指揮の下、ケルンで行われた「ザ・ジミ・ヘンドリクス・コンサート
( The Jimi Hendrix Concert)」に参加。
1993年4月
ZENO
から派生したバンド、フェア・ウォーニング(FAIR
WARNING) により、日本で“Eastern
Sun”などが演奏される。これらの曲は、古いファンのみならず、ZENO
を知らなかった若い層にも強いインパクトを与える。
1993年10月
アルバム「ZENO」がCD化され、日本で東芝EMIより再発される。
1993年11月
1987年から1994年までにレコーディングされた曲を収録した、プロジェクト・アルバムのリリースを決める。ゼロ・コーポレーション(当時)と契約を結ぶ。
1993年12月
新たな着眼点で、ジミ・ヘンドリクス(Jimi
Hendrix) に関する本を執筆する構想を練る。
1994年10月
アルバムのレコーディングを開始。
モニカ・ダンネマン(Monika
Dannemann) による、ジミ・ヘンドリクス(Jimi
Hendrix) の精神的、哲学的局面に焦点を当てたアート・ブックの出版が具体化し、この本の共著者となる。
1994年12月
ZENO
のセカンド・アルバム「Zenology」完成。
1995年3月8日
アルバム「Zenology」リリース。
オリジナル・コンフィデンス(オリコン)による日本の音楽チャート(洋楽、邦楽含む)で64位、洋楽部門では25位。ロック・ミュージック・チャートでは、ボン・ジョビ(BON
JOVI)、ヴァン・ヘイレン(VAN
HALEN)、ファイアー・ハウス(FIRE
HOUSE) に続き4位を獲得。
1995年8月
モニカ・ダンネマン(Monika
Dannemann )(共著:ジーノ・ロート)による「The
Inner World of Jimi Hendrix」がイギリスで出版される。
1995年9月
「Zenology」がヨーロッパにて発売。
1995年12月
ZENO
の次作のための曲作りを始める。
1996年〜
ZENOの3作目のレコーディングを開始。すべての楽器を担当する。
1997年12月
「Listen To
The Light」アルバム完成。
1998年1月28日
日本で「Listen
To The Light」がゼロ・コーポレーション(当時)よりリリースされる。
オリコンによる日本の音楽チャート(邦楽含む)で、初登場26位、洋楽部門では6位、ロック・ミュージック・チャートではPERL
JAM に次いで2位を獲得。
1998年4月
「Listen To
The Light」アルバムが、ヨーロッパでもリリースされる。
1998年5月
次作のための曲作りに入る。
1999年4月
BURRN!
誌の読者による年間人気投票で、「Listen
To The Light」がアルバム部門の2位、ジーノ・ロートがギタリスト部門の2位、ソングライター部門3位、"Meet
Me At The Rainbow" が曲部門の9位に選出される。
2000年8月
英国に移住。新作のためのレコーディングを続ける。
2003年10月
過去3作
(ZENO、ZENOLOGY、LISTEN TO THE
LIGHT) のデジタル・リマスター・バージョンの発表を決定。伝説のデモと称されたファーストアルバムのデモを含む
ZENO の歴史上の楽曲を「The
Making of ZENO」と題して、ボーナス・トラックとする構想を練る。
2004年
デジタル・リマスター盤の最終作業、最終調整。未発表曲集2としたコンピレーション・アルバム「ZENOLOGY
II」の制作。
2004年11月
長い間廃盤となっていたファーストアルバム「ZENO」が、ヨーロッパでMTM
Musicより再発される。
2006年9月
「Runway To
The Gods」リリース。オリコン・アルバム・チャートは初登場19位を記録。
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